東西文明と救済思想
縄文・東洋・西洋文明の分類(執筆中)
縄文文明の救済
私たちは人類の歴史を、約1万7千年前の縄文文明から始まり、BC4~5千年頃から縄文文明が東洋文明と西洋文明に分岐するようにして誕生し、現在に至っているという大きな流れでとらえてきました。こうした文明の構造を理解するために、ここでは2つの基準、すなわち、性善説 vs 性悪説 及び自力救済 vs 他力救済でこれら3つの文明をとらえてみます。まず縄文文明ですが、この時代には人は神と同じような存在とみなされていましたので、性善説の文明と解釈できますし、また聖人による自力・他力救済の体系的教義が提唱される以前の素朴な太陽、自然、祖先崇拝による救済が主流となってましたので、ここでは自然発生的な他力救済による神道の文明としてとらえます。
性善説 | 太陽・自然・祖先崇拝(神道) | 縄文文明 |
東洋・西洋文明の救済
こうした縄文文明の悠久の時が流れ、やがて鉄が生産され、稲作等の農耕が主流となる時代に突入してくると状況は一転し、人々は鉄器を武器にして、農産物等の争奪戦が始まる時代となります。村々も大きく成長して、地域社会が拡大・形成されるようになると、人々の苦しみや絶望(別離、病気、老化等)も広範囲に広がってきました。縄文文明における村々での祖先による加護、神道のみでは救済されないような社会が出現し始めたのです。こうした環境の変化に伴い、縄文文明が分裂するかのようにして東洋と西洋の文明が出現し始めました。
縄文文明を底流にしつつ、人は生まれながらにして善であるという性善説が主流となる東洋文明がアジアで誕生してきました。それとは対極的に、人は生まれながらに罪(原罪)を背負った存在であるとする性悪説が主流となる西洋文明がヨーロッパで誕生してきました。
苦しみからの救済方法に関しては、2つの異なった方法が多くの聖者によって提唱されました。
- (自力救済)人は生まれながらにして善であり、神的な存在(アートマン)であるので、瞑想等の修行により自力で神性(ブラーマン)と一体化 させれば救済されるというのがヨガ思想の自力救済の教義です。「色即是空」という無我の境地を坐禅等の瞑想修行で達成できれば、解脱・救済できるというのがブッダによる原始仏教の自力救済の教義です。すなわち、自己救済とは自力で無の世界観を達成する救済で、自我と自然を一体化すれば解脱できるとする教義なのです。
(KYは20代の時、ヒマラヤでヨギからヨガスートラを対面で教授されました)。 - (他力救済)修行等を実践して自力で救済することができない大多数の民衆にも、神や仏のような他力によって救済されるというのが他力救済の教義です。神による他力救済でも、多くの神から救済されるのか、唯一絶対の神のみによって救済れるのかによって、多神教と一神教に分かれます。
以上、 性善説 vs 性悪説、 自力救済型 vs 他力救済型 という2つの異なった基準から、東洋文明、西洋文明及を分類すると以下のようになります。
東洋文明 vs 西洋文明(教祖による教義、宗教)
次にこうした大きな枠組みの中で東洋文明 と西洋文明を教祖の教えをもとにより具体的に分類してみます。
性善説を背景とする東洋文明では、自力による救済がパタンジャリ(ヨギ)やブッダによって説かれます。こうした自力救済の道が禅仏教へと発展してゆきます。他方、厳しい修行による自力救済のできない一般衆生に対しては、ヒンズー教の神々や神道の八百万の神、イエスの降臨によるメサイア救済、ブッダの化身(阿弥陀如来、観音菩薩、弥勒菩薩)による救済がなされるという信仰が流布され出します。 日本への仏教の伝来は538年で、欽明天皇の時に百済の聖明王が仏像と経典を遣わしました。当初は、神道と仏教の間で確執があったようですが、やがてブッダは神道の祖先崇拝の神の化身と見なされて、神仏習合 (Syncretism of Shinto and Buddhism) による救済方法が主流となりました。多神教の東洋文明では、神道が仏教を同化し、神々の対立による争いは生じませんでした。
性悪説を背景とする西洋文明では、自己救済は原理的にあり得ず、他力救済のみが主流となります。なぜならば、自己救済で教義が完結すれば、一神教による他力救済は無用となるからです。原罪説を信じるユダヤ教やローマ・カトリック教(キリスト教の一派)では、ヤハウヘイやイエス・キリスト(三位一体)といった絶対神(一神教)を受け入れることが唯一の救済方法となります。他方、原罪説を信じないアッラーの神のイスラム教などの一般衆生は、神の意思にしたがって善行を行えば救済されるが、悪行を繰り返せば神によって罰せられるというイスラム的他力救済の教義が広がります。
こうして誕生してきたのが西洋文明ですが、一神教の解釈を巡って、カトリック(イエズス会)とプロテスタントの争い、ユダヤとイスラムの争い等々、血で血を洗う宗教戦争が絶え間なく繰り返されてきました。こうした歴史的事実一つをとっても、こうした西洋文明はシステムデザイン欠陥の文明であると結論できます。にもかかわらず、なぜこうした一神教の文明は放棄されなかったのでしょうか。答えは一つ、世界を支配しようとする権力者にとって、絶対神による他力救済という教義は、民衆を精神的に懐柔できる有効な手段となり得たからです。すなわち、一神教は精神的支配の手段として非常に有効だったのです。お金も有効な支配の手段となり、特に民間銀行によって無から創造される債務貨幣は、経済的支配の手段として非常に有効的でした。
すなわち、西洋文明では、神と金という2つのKから始まる手段が支配する文明となりました。神と金が合体したのが、ローマ・カトリックの免罪符の販売で、それによるバチカンへの富の集中です。やがてユダヤ金融資本がバチカンの会計士としてお金を支配するようになり、神と金の合体は、バチカン(イエズス会)とユダヤ金融資本が合体するグローバリストによる支配体制へとより具体化され、今日の世界を支配しているのです。さらに国家 (Nation-State)という近代国家が誕生すると、やがて国同士がイデオリギーで争う時代へと突入しました。その究極の姿が、資本主義、社会主義、共産主義というイデオロギー対立であおられ相争う現代社会です。これらの「分割統治」を巧妙に仕組んだのがグローバリストであり、彼らによる「債務貨幣」で世界を支配し君臨する独裁体制なのです。すなわち、一神教が対立・支配する西洋文明が現在の世界を支配する元凶となったのです。
むらトピア:3つの文明の融合(ルネサンス2.0)
現在世界を文明論的に分析すれば、性悪説と一神教の西洋文明が元凶であると分析してきました。神と金の合体支配体制をどうすれば解体できるのでしょうか。ここでは文明論的な解決方法を提案します。3つの文明の融合は可能なのだろうか。もしこれらの統一が不可能だとすれば、文明の対立による争いは永遠になくなりません。私たちはこれら3つの文明の統合は可能だと結論します。ではどうすればいいのか。1万7千年前の縄文文明から続いている日本社会を分析すれば、自ずから答えが見えてきます。
ユダヤ教を持って日本に渡来したユダヤの多くの氏族はこうした原罪思想を断念したために、「神仏習合」の日本社会に同化できました。他方、16世紀に原罪説を説いて日本を支配しようと画策したイエズス会はその本性を見破られ、日本から駆逐されました。
性悪説(原罪説)という脅しから文明が解放されれば、3つの文明の融合は可能となります。また、そうしなければなりません。一神教の神は、八百万の神の一つとなり、個人的な宗教(救済)の選択肢が広がります。
「むらトピア」は、縄文文明、東洋文明、西洋文明を融合する現代版文明システムです。高度に発展した生産、情報技術を駆使して、縄文文明のような未来を創造するのです。縄文文明のDNAを持つ私たち日本人が、世界の新しい未来を切り開いてゆくのです。極東の日出るバラダイスの島々へと日本が再び生まれ変われば、世界は変わります。それが私たち日本未来研究センターのミッションです。
詳細は "Public Money" Chapter 15: MuRatopia Economy (2024年秋に欧米で出版予定) を参照下さい。