むらトピアとは?

文筆:山口薫 (KY)

むらトピアの誕生秘話

 1970年代から80年代、世界は欧米の資本主義、北欧の社会主義・福祉国家、ソ連や中国の共産主義に分かれて、互いにいがみ合っていました。いわゆる東西冷戦体制です。なぜこのような政治的対立が生じるのか。当時の知見で得られた答えは、3つの経済学(新古典派経済学、ケインズ経済学、マルクス経済学)が水と油のように互いに対立して敵対し合っているので、それらの経済理論に立脚する国家や政治体制もそうならざるを得ないのではというものでした。
 ならば、これらの3つの経済学が統一されれば、必然的に世界平和も達成されるのではないか。KY はそう考えてカリフォルニア大学バークレー校で経済学の統一理論研究に没頭し、博士論文第6章でこの統一理論を完成させました。資本主義でも、社会主義でも、共産主義でもない、「主義(イデオロギー対立)」の時代はこれで終わると確信しました。しかしながらこの統一理論には名前が無かった。
 ある日、ベートーベンの交響曲第6番「田園、Pastoral」のメロディーが浮かんできました。博士論文の第6章だから同番号にちなんで交響曲第6番の Pastoral でゆこうというアイディアが突如浮かんできました。経済学の統一理論のコア概念が Cooperative であったので、そこからヒントを得て、1986年提出の以下の博士論文で Co-Pastoral Economy と命名しました。

   Beyond Walras, Keynes and Marx: One Synthesized Paradigm Toward A New Social Design(Ph.D. Thesis)
       Chapter 6 “Toward A New Social Design – Co-Pastoral Economy”

 この経済学の統一理論は、アルビン・トフラーの「第3の波、1980年」が予見する情報革命による情報化社会の出現にふさわしい経済理論として提唱されました。そして情報化時代に於ける「地球村 (Global Village)」というマクルーハンの用語(1967年)からヒントを得て、Co-Pastoral Economy を更に MuRatopian Economy (むら-村-トピア経済)へと止揚し、博士論文と同名での著書を1988年に出版。このようにして資本主義、社会主義、共産主義に取って代わる新しい経済概念として「むらトピア」経済が1988年に誕生しました。(公共貨幣、東洋経済新報社、2015年、第1章参照)。

縄文文明:むらトピアの原型

 このようにして誕生した「むらトピア」という概念ですが、その原型は、約1万7千年前から始まる世界最古の縄文文明にあります。縄文文明とは以下の3つを特徴とする文明です。

  1. 太陽及び太陽系システムが創造する自然のダイナミズ(生命)を崇拝
    万物の源である太陽を崇拝するということで、縄文時代には太陽が天照大神として具現化されました。
    次に太陽系 (Solar System) から派生する自然のダイナミズムは生命そのものであるとして崇拝するということで、
    八百万の神(アニミズム)と具現化されました。

  2 . 祖先崇拝
    私たちが今、現在ここに生きているのは両親のおかげであり、両親が存在したのもまた彼らの両親のおかげ、
    すなわち祖先のおかげであると思うと、祖先への感謝の気持ちがおのずと湧き上がってきます。
    そして祖先はお天道様としていつも私たちを見守ってくれているとして感謝し、崇拝するのです。
    天皇ファミリーはそうした私たちの祖先崇拝が具現化された一例なので、
    私たちが祖先のファミリーを崇拝するのと同じ気持で崇拝するのです。

  3 . 家族(家)が社会の最小単位
    父、母、子供、孫、祖父、祖母等の家族や家が縄文文明の最小単位となります。
    やがて家族やその親戚縁者が集まって、村(むら)という共同体や社会が誕生することになり、
    村(むら)が縄文文明の最小単位となりました。こうして家族ー村から構成される地域社会が形成されました。

   (こうした縄文文明の観点からすれば、社会を個々の個人レベルにまで分解し、更に男女差までをも解消して LGBTQ へと
    分解させる最近の傾向は、結果的に持続不可能な社会をもたらすことになるので、人類社会の最小単位では決してあり得ず、
    文明論としても明らかに間違っています。人間を「奴隷として見かけ上平等」に扱い、分断支配しようとする全体主義者・
    共産主義者の策謀にすぎません。騙されないようにしましょう。)

 このような特徴や精神性を持つ縄文時代は、村々から構成される、争いのない平和で持続可能な社会となり、約1万7千年もの長きにわたって存続してきました。やがて極東に於ける縄文文明の島々は日出るパラダイスの島々であるとして知られるようになり、世界中から多くの民が北緯30〜40度線上を「日出る東へ東へ」と移動し始めました。以上が世界最古の縄文文明の鳥瞰図的なイメージで、私たち「むらトピア」の新文明の原型となりました。
 以上のような3つの特徴を持つ縄文文明では、人は生まれながらに善であり、神聖な命を宿している生命体・神であると見なされてきました。そうした善なる人々が、時には苦しみや絶望に見舞われるのは心身が穢れた結果であるので、禊(みそぎ)で汚れた心身を払えば、そうした苦しみや絶望から解放されるとされてきました。そして善なる人が亡くなれば、祖先の守り神、お天道様となって家族を加護してくれるのであるという精神的救済が確立されてきました。さらに村人たちから尊敬された人は村人の鎮守様として神社で祀られるようになりました。こうした状況から誕生してきたのが縄文文明の神道であり、神道による救済です。

性善説 太陽・自然・祖先崇拝(神道)縄文文明
縄文文明の救済

  このように縄文文明を包括的に捉えると、縄文時代には人は神と同じような存在とみなされていましたので、性善説の文明と解釈できますし、また聖人による自力・他力救済の体系的な教義が提唱される以前の素朴な太陽、自然、祖先崇拝による救済が主流となってました。

東洋文明と西洋文明の誕生

 こうした縄文文明の悠久の時が流れ、やがて鉄が生産され、稲作等の定住農耕が主流となる時代に突入してくると状況は一転し、人々は鉄器を武器にして、農産物等の争奪戦が始まります。村々も大きく成長して、地域社会が拡大・形成されるようになると、人々の苦しみや絶望(別離、病気、老化等)も広範囲に広がってきました。縄文文明における村々での祖先による加護、神道のみでは救済されないような社会が出現し始めたのです。
こうした環境の変化に伴い、縄文文明が分裂するかのようにして東洋と西洋の文明が出現し始めました。


 東洋文明と西洋文明をここでは2つの基準、すなわち、性善説 vs 性悪説 及び自力救済 vs 他力救済でとらえてみます。縄文文明を底流にしつつ、人は生まれながらにして善であるという性善説が主流となる東洋文明がまずアジアで誕生してきました。それとは対極的に、人は生まれながらに罪(原罪)を背負った存在であるとする性悪説を主流となる西洋文明がヨーロッパで誕生してきました。
 苦しみからの救済方法に関しては、2つの異なった方法が多くの聖者によって提唱されました。

  • (自力救済)人は生まれながらにして善であり、神的な存在(アートマン)であるので、瞑想等の修行により自力で神性(ブラーマン)と一体化 させれば救済されるというのがヨガ思想の自力救済の教義です。「色即是空」という無我の境地を坐禅等の瞑想修行で達成できれば、解脱・救済できるというのがブッダによる原始仏教の自力救済の教義です。すなわち、自己救済とは自力で無の世界観を達成する救済で、自我と自然を一体化すれば解脱できるとする教義です。
  • (他力救済)修行等を実践して自力で救済することができない大多数の民衆にも、神や仏のような他力によって救済されるというのが他力救済の教義です。神による他力救済でも、多くの神から救済されるのか、唯一絶対の神のみによって救済れるのかによって、多神教と一神教に分かれます。

以上、 こうした性善説 vs 性悪説、 自力救済型 vs 他力救済型 という2つの異なった基準から、東洋文明、西洋文明及を分類してみると以下のようになります。

 性善説を背景とする東洋文明では、自力による救済がパタンジャリ(ヨガスートラ)やブッダによって説かれます。こうした自力救済の道が禅仏教へと発展してゆきます。他方、厳しい修行による自力救済ができない一般衆生に対しては、ヒンズー教の神々や神道の八百万の神、イエス・キリストの降臨によるメサイヤ信仰、ブッダの化身としての仏(阿弥陀如来、観音菩薩、弥勒菩薩等)による救済(大乗仏教)等による救済がなされるようになります。 日本への仏教の伝来は538年で、欽明天皇の時に百済の聖明王が仏像と経典を遣わしました。当初は、神道と仏教の間で確執があったようですが、やがてブッダは神道の祖先崇拝の神の化身と見なされて、神仏習合 (Syncretism of Shinto and Buddhism) による救済方法が主流となりました。原始キリスト教のメサイア・マリア信仰が仏教に取り入れられて大乗仏教として同化され、その大乗仏教が多神教の神道に同化されてしまったので、東洋文明では神々の対立による争いは生じませんでした。

 性悪説を背景とする西洋文明では、自己救済は原理的にあり得ず、他力救済のみが主流となります。なぜならば、自己救済で教義が完結すれば、一神教による他力救済は無用となるからです。原罪説を受け入れるユダヤ教やキリスト教では、ニケーア公会議 (325) 後にローマカトリックの三位一体といった絶対神(一神教)による救済が唯一の救済方法となります。原罪説を信じないアッラーの神のイスラム教などでも一般民衆は、神の意思にしたがって善行を行えば救済されるが、悪行を繰り返せば、神によって罰せられるという他力救済の教義が布教されます。
 このように絶対神による救済へと純化していったのが西洋文明であり、一神教の解釈を巡って、カトリック(イエズス会)とプロテスタントの争い、ユダヤとイスラムの争い等々、血で血を洗う宗教戦争が絶え間なく繰り返されてきました。15世紀の後半、リタリアのフィレンツェで始まったルネサンス(文芸復興)運動は、こうした一神教の西洋文明からの脱却運動として始まったのですが、残念ながら16世紀前半で衰退させられました。

 なぜ一神教の文明は放棄されず、ルネサンスは失敗したのでしょうか。答えは一つ、世界を支配しようとする権力者にとって、絶対神による他力救済という教義は、民衆を精神的に懐柔できる有効な手段となり得たからです。すなわち、一神教は一般衆生を支配する手段として非常に有効だったのです。これを捕捉するような支配の手段がお金で、特に民間銀行によって無から創造される債務貨幣は、経済的支配の手段として非常に効果的となりました。
 このようにして、西洋文明は神と金という2つのKで始まる手段が支配する文明となりました。神と金が合体したのが、ローマ・カトリックの免罪符の販売で、それによるバチカンへの富の集中です。やがてユダヤ金融資本がバチカンの会計士としてお金を支配するようになり、神と金の合体は、バチカン(イエズス会)とユダヤ金融資本による債務貨幣の発行が合体するグローバリストによる支配体制へと拡大し、今日の世界を支配しているのです。

むらトピア:3つの文明の融合(ルネサンス2.0)

 このように世界を文明論的に分析すれば、現在は性悪説と一神教の西洋文明が支配している世界であると分析できます。では、3つの文明の融合は可能なのだろうか。3つの経済学を統一する理論としてむらトピア経済を提唱したのと同様に、もしこれらの統一が可能となれば、文明の対立による争いは永遠にこの地上からなくせます。私たちはこれら3つの文明の統合は可能だと結論します。ではどうすればいいのでしょうか。1万7千年前の縄文文明から続いている日本社会の形成かていを分析すれば、自ずから答えが見えてきます。
 ユダヤ教を携えて弥生時代や古墳時代に日本に渡来したイスラエルの氏族(特に一神教のユダ族)はこうした原罪思想を断念したために、「神仏習合」の日本社会に同化できました。他方、16世紀に原罪説を説いて日本を支配しようと画策したイエズス会はその本性を見破られ、日本から駆逐されました。こうした歴史的事実からも明白なように、性悪説(原罪説)という脅しから文明が解放されれば、3つの文明の融合は可能となります。そうすれば、さらに一神教の絶対神は八百万の神の一つ (One of them) となり、個人的な宗教(救済)の選択肢が広がります。私たちはこうした大きな文明の融合を16世紀に失墜したルネサンス(文芸復興)の次なるステップ、すなわち、ヘレニズム→ルネサンス→むらトピアへの必然的流れ(ルネサンス2.0のむらトピア融合)としてとらえています。

 「むらトピア」とは、縄文文明、東洋文明、西洋文明を融合する新文明システムです。下の図はこうした3文明が融合し、相互依存し合っているむらトピアの文明システムの概念図です。高度に発展した生産、情報技術を駆使して、縄文文明のような未来を創造するのです。縄文文明のDNAを持つ私たち日本人が、世界の新しい未来を切り開いてゆくのです。かつての極東の日出るバラダイスの島々がむらトピアとして再び生まれ変われば、世界は変わります。むらトピア(3つの文明の融合)を「むらトピア文明」へと育てあげてゆくのです。それが私たち日本未来研究センターのミッションです。 
 詳細は “Public Money” Chapter 15: MuRatopia Economy (2024年秋に欧米で出版予定) を参照下さい。

MuRatopia-ja